《連載》 M氏の事(3/6)

3 約束

そうして、その週の土曜日。 
仕事を終えた後,徳山市街にある居酒屋で営業所のメンバー8名で飲み会があった。
21時頃に1次会は終わり,2次会目指して,市街の中を所長を先頭に練り歩く。
私とN氏は,徳山に来て,まだ日も浅く,ただただ所長の後ろからてくてくとついていくだけだった。
そして歩いていると,少し見覚えある風景であることに気づいた。
そう! あのM氏の店の近くだったのだ。
少し いやな予感がしてきだした。
しかし所長とはぐれるとまずいので仕方なく所長の後ろをついていく。 
もちろん所長はそういった私の心情なんて知ってる訳はない。
M氏の店の近くに来てみると,2,3名が呼び込みらしき行為をしていた。
昼とは違って、夜になるとこの辺の雰囲気も変わる物だ。 と思っていたところ,その2,3名の中にM氏がいることに気づいた。
あっまずい! と思った瞬間M氏も私に気づいたようで,にこにこしながら私の方に寄ってきているではないか。
そうして肩を組むようにして『XX君! ちょっと話しがあるんだ。中にはいらないか』と誘いかけてくる。
『えっ!』と言っただけで私はそのまま、店の中へと連れられて行かれた。
振り切って逃げろうと思えば,それは可能であったろうが,少し私も酔っていて勢いがあったんだろう。
仕方ない! それなりの覚悟と期待を決め込んだ。
中に入って思った! この間とは感じが違っている。
歩くのには支障がないが,薄暗くて周りはよく見えなく、すれ違う人の顔もよくみえないが,ほのかなピンク色の照明が一体に漂い,別世界にいる甘いオーラを演出している。
やはりここはいかがわしい店だったんだ。
そして,M氏が『そこで待ってて』と, 以前将棋を指した場所にある椅子に座ってるように勧める。
今日は 将棋を指すにぴったりの机は見当たらなかった。
ここは,お客がその順番を待つところだったんだ。
しばらくそこで,一人で座っていると,酔っぱらった20代後半の男が入ってきた。
どうも,呼び込みの者に,半ば無理矢理連れ込まれた様子だ。
かなり酔っているせいなのか足元もよれよれで,やっとこさ私の横にある椅子に倒れこむようにして座る。
そして,私に気づいたのか,『お!兄ちゃん。おまえはいつも,こういうとこに来てるのか』と話し掛けてくる。
黙って座っていたのが,かえって落ち着いているように見えたのか,更に『こういった店をまわってきてる者なのか?、で!ここの店はどうだ?』といったように,変に絡んできだした。
私自身,ここがどういったとこか把握していないし,まともに答えたとしても,相手は酔っ払いだ。
また,なにかと絡んでくるに違いない。
かといって無視して,機嫌を損ねると,何をされるかわからない。
どう対応したらいいものかと困っているところに,M氏がやってきた。
そしてその酔っ払いに『こちらの兄さんは,もうスッキリして,今から帰るところなんですよ』と絡まれそうなところをうまくかわそうとしてくれた。
酔っ払いも更に,この店の女性のこととか,サービスのこととかを聞いてきたので『いやあ よかったですよ』と,適当に返事をすると、怒ったような口調で『ほんとか!』と声を荒げに絡んでくる。
まだいろいろ聞きたそうにしていたが,M氏が『さあさあこちらへ』と,奥に案内していき,その酔っ払いを,連れて行ってしまった。
私の方は,ほっと一息である。
そして,少しして,M氏が戻ってきた。
『いやあ まいったね。 ところで話があるんだが』と店の前で言われたのと同じことをいわれた。
『なんでしょうか?』
『実は・・』と言って5秒くらいの間をあけて、 『将棋を指そう』と言ってきた。
『えっ!』 私は絶句してしまった。
・・・将棋を・・指すの!
私とM氏とは一週間前に将棋道場で初めて会い,お互いに将棋が好きだということしか知らない。
他に知ってるといえば,M氏の職業がここの風俗店で働いていることだけだ。
この二人にとってみれば,(将棋を指そう)という言葉は,最も自然で,あたりまえの会話であるが、こういった状況下で,この言葉を聞くとは,予想だにしていなかった。
私の驚いた様子が,M氏のも伝わったのか『冗談だよ冗談』と笑っていた。
そして続けて,今度は真顔になって『実は明日,下関に将棋を指しに行くんだ。君も一緒に行かないか?』
突然のことで驚いたが,この店に連れられた時に(話があるんだ)というのは本当だったようだ。
また 将棋を指そうと言ったのも,明日ということであれば,間違っていない。
『私は構いませんが』と言うと,喜んで『お そうか。よかったよかった』と言って、『じゃあ 明日10時に徳山駅で待ってるよ。列車の中で将棋でも指しながらのんびり行こう』と言ってきた。
『はい わかりました』と私。
更に,『もし何かあったらいけないので,私の連絡先を渡しとくよ』といって,M氏は名刺を取り出し,そこに自分の電話番号を書いて,私に渡した。
そして私は,その名刺を見て,更に驚いた。
ちゃんと印刷されてる普通の名刺であるが,
《**店 店長 米長 邦雄》と書いてある。
『何 これ! これじゃ直ぐにうそだってわかるんじゃないですか? 』と聞くと、『それが,意外と気づかれないんだよ』とうれしそうにM氏が言う。
『ほんとですか?』と疑うと、『でも,中には,将棋の米長邦雄と同姓同名じゃない?って聞かれたことはあったけど,いやあ偶然なんですよ っていえば,それまでだよ』と得意げに言った。
まあ,この名刺をもらう相手も,風俗店の店長の名は,たとえ嘘でも,どうでもいいことかもしれない。
今でも,私はこの人物のはっきりした名前をしらないでいる。
そして,偽りの名刺を受け取ると,M氏は『じゃあ 明日』と再度約束を確認して,私を外に出て行くように促した。
私はそこを出て,一瞬はぐれてしまった所長の後を追った。
  
 

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